本が読めないのに

当方では10数年前から数独、というパズルが流行っている。連れ合いは★星5つの問題も難なく解く。 私は何回解き方を教えられても理解できないまま横から眺めているだけだった。  時々思い出したようにルールを説明して貰って挑むのだがすぐ壁に突き当たってしまって何回も投げ出して来た。  説明を受けた時は判った気になるのだが連れ合いの説明が下手なのか、こちらの吞み込みが悪いのか、どうしても基本が判らず一寸難点に差し掛かると前に進めない。 解けなければ面白くないからこれまで指を銜えてきた。


ところが先日、朝日土曜版の問題を眺めていて、何かのきっかけで半分近く空欄が埋めることができた。連れ合いが残りにヒントをくれてついに初めて最後まで回答することができたのである。  次の週、今度は自力で挑んでみたら、これもなんとか解くことができた。そこで初めて→実に10数年がかりで挫折していた壁を乗り越えることができたのである。
 するとまだ1回だが問題の壁を乗り越え数字が埋まって行く時、溜まりに溜まったエネルギイが、雪崩となって一気に崩れ落ちて行くようなカタルシスを味わったのである。最近の朝日新聞夕刊「凄腕仕事人」で、数独ニコリの元締めの紹介があり、老人が初めて感じた快感の事を『山場の発見』と言うらしい事をも知った。




情報公開を試みたり、裁判を傍聴したり、有意義なことは多々あろうけど、クイズを解く時間ほど無意味なものはない。何の為にもならない時間の浪費である。クイズが解けなくても少し後悔するが世界は変わらないし、無為に過ごしている間に原発は稼働し、やがては核廃棄物は溢れ、農業は衰退し、年寄りは死ぬ。悪党どもは談合して税金を盗み、暴力団は脅迫によって人を屈服させる。


老人は又、昔将棋を嗜んだ。タクシー運転手をしていた頃、何かの拍子に目隠し将棋ができるなら……ということになって、ハンドルを握りながら後部座席の腕自慢様と76歩、84歩、68銀、34歩、77銀・・・・・・とやったことがある。その将棋は80手位まで進んだところで目的地についてしまい決着しなかったが、そんな長閑なこともあった。当時は自分の1局を暗譜することもできた。

クラッチを踏みギヤを入れて進む時代ならではのことで、車のコンピュウタ化、ハイテク化の進んだ今では、そんな事をしたら運転に集中していないとして苦情が出そうな話だが、まあのんびりした時代だった。


で、ネットで野球や歌謡曲やその他画像を見ていると、傾向分析に引っかかるのか、将棋の画像が次候補として提供されてくる。嫌いでないからついつい誘惑されて名局とされるNHK杯羽生、加藤の52銀等をクリックしてしまう。  すると2分3分なら兎も角関連動画が一杯連接し10分15分の対局もつい見てしまって気がつくと何時間もパソコンに取り付いている。これも無駄である。将棋の結果がどうであれ、過去の名局、名手が感動的であれ、それが原発や、地方自治の惨状や選挙に直ちに関与することはない。そうして数独や将棋の棋譜に淫することは、確実に本を読む時間を削ることになってこの二つは両立しない。



棺桶に片足を突っ込んでいる身としては、本が読めないのにそんなどうでもよい事に時間を割くことは回避したい。  しかし無駄なことほど安楽であるようだ。



パズルを解く、将棋を観戦する、判決を検索する、投稿記事を書く、本を読む、何が喫緊の課題か優先順位をつけられなくなっていることが即ち、劣化の表れなのだが、本が読めないというのは読むために集中する根気が薄れている、ということであり、集中する時間が取れない、ということだ。   


70才という年齢のこともある。ま、努力しないものの言い訳の定番である。


   

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