怯むな!朝日新聞

朝日新聞の土曜特集に織田作之助原作・豊田四郎監督の映画「夫婦善哉」が取り上げられていた。森繁主演映画もテレビドラマも見ていないし原作も読んでいない、が ぐうたら男を支えるしっかり女、という見出しや、離れられない男と女、蝶子の清貧→柳吉の放蕩→蝶子の折檻→柳吉の反発→が繰り返し、優柔不断な男と「この人を1人前にして見せます」と侠気を見せる女の悲喜劇、と野波健祐記者の紹介が続く。

心理学の概念がどうなのかは素人で判らないが、アホな男に尽くすアホな女を、精神科医の斉藤学さんが現代の目から見ると「共依存」なのだそうだ。ダメならダメなほど自分が支え立ち直らせようと頑張る、終いには男が立ち直ってしまっては生き甲斐がなくなって困るのではないかという位転倒した、共に依存しあう、という事らしい。   その説明を見て、感ずるところがあった

老人は今の連れ合いと一緒になって40年になる。 結婚の時、この人の手足となって一生尽くしたいと心底思った。 しかし意に反して40年の間、支えられてきたのは専らこちらであって海外は固より国内温泉旅行にも殆んど連れて行けず、苦労をかけるばっかりだった。  今年の秋はマツタケが豊作だと ネットで出ていたが40年間一度もマツタケの土瓶蒸しだのマツタケ御膳などを食べさせて貰っていないという話になって大いに悔しかった。マツタケ料理を御馳走するほどの余裕がなかったのである。勿論これからもないであろう。  老人と連れ合いは互いに5人兄弟の末子同士で、親の世話から遠い筈が、東京荒川の実家の火事やら、高齢化などで面倒をみることになり、数年のち次兄夫婦が肩代わりして面倒を見て呉れたので、同居の苦労は半減して数年だった。  この義姉も感謝のしようがない程出来た人で、結局私の両親は施設にも行かず、認知症になりながら入院もせず、親父は私の家で連れ合いの、お袋は次兄の家で義姉の献身に送られ、在宅でのいわゆる畳の上の大往生を遂げることができた。  



それもこれも何でもかんでも、ひと重に連れ合いのお陰だ。 1日置きのタクシー稼業では連れ合いに親の世話を丸投げするしかなく、その苦労を持ち出されると未だに頭が上がらない。 子供が小さい時から定年まで全く家事子育てに貢献できず、朝東京へ出かければ翌朝まで何があっても家庭を仕切って貰わなければならず筆舌に尽くし難い苦労をかけたと思う。  子どもが小さい時は子供に集中し、子等が独立して二人だけになって初めて幾らか食後の片付け等を肩代わりするようになった。  8年前退職して毎日が日曜日になり、徐々に洗濯や掃除、買い物にも助力できるようになり。 そこから毎日毎回食事の片付けを担当するようになって、漸くこの頃結婚の時の『この人のために奉仕したい』という思いを、お角違いのレベルではあるが随分縮小したかたちで幾らかは実現できるようになった。

その為には、食事のあと、自分ができる片付けをじっと手を出さず放棄断念して貰わなければならない。夫婦善哉の柳吉のように、ぐうたらを演じてくれれば呉れる程こちらは遣り甲斐のある蝶子になれる。   洗濯は頼むね~と言って出かけてくれれば、何としても洗濯に取り組まなければならないから真剣にやる。  もうお昼だから何か作るの?、と言われれば冷やし中華でも、そうめんでも作る。  自然に12時になれば言われなくても率先して昼食を作るようになった。とにかくあちらが自分では何もしなければ、否応なくこちらが何か口に入るものを作る。  

運転手の頃、胃に悪いとして全く飲めなかったコーヒーは、連れ合い特科のお気に入りで、豆をブレンドして挽くところから砂糖ミルクの分量まで老人には指を触れさせない専権事項だが、退職してからは薄いものならば飲めるようになり、今日は淹れないの?(→二番膳を貰いたいから勧める)などと言うようになった。コーヒーを淹れたければ自分で淹れます、指図しないでとこちらの忠告を「過干渉だ」と言って怒る。


これからもなるべく家事を手抜きして貰って、できるなら 『過干渉』と『共依存』 の関係を高めたいと思っている。


このところ朝日新聞の、従軍慰安婦を巡る吉田証言記事訂正や、福島原発崩壊を巡る吉田調書記事の訂正などで、産経・読売や週刊誌文春・新潮等の朝日非難が激しく展開されている。しかし、その下品で狂信的なキャンペインには辟易とする。 

日本軍の全体としての蛮行は隠しようがない。 その冠であった昭和天皇が結局まともな責任をとらなかったことなど、吉田証言が仮に架空のものであったとしても他の膨大な事実全体から、戦争の歴史とその暗部を否定する事はできない。  安倍晋三など今の自民党政権の右翼歴史修正的偏向は全くお粗末なもので何故子供騙しのような理屈にしがみ付いているのかが理解できない。

福島原発崩壊の吉田調書報道でも、現場の東電技術者たちが全体として逃げ腰だったのは、それを退避と呼ぼうと撤退と呼ぼうと争えまい。 逃げ出さなければならない程の過酷事故が現実に起こったし、又今後も起こり得ると思われる時、全国に54機もあるすべての原発設置所長54人と関与従事者・社員技術者数千人が苛烈な判断の前に曝されるのは避け難い事だ。 英雄的な決断か或いは悲惨な犠牲かの選択の瞬間に立たされる必要はない。 仮に再稼働を選ばず、原発廃棄に舵を切ったとしても尚集束まで多くの課題が残るのに、稼働させて再度の危険に雪崩れ込むのは愚かな選択だ。

マスコミ記者クラブとして朝日を見れば欠点も多く持つが、それでも他の翼賛新聞よりは真っ当だ。 地に足を付け政権批判の旗を高く掲げ市民と共に進めば何も恐れる事はない。
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朝日は記事訂正のお詫びとしてか、タオルと挨拶文を購読者に配っているようだ。しかしこういう『モノ』をお詫びのしるしとするようなことが拙劣であることは論を俟たない。 部分と全体を取り違えた低水準の批難に、お付き合いするような対応は疑問である。  既に実行された記事訂正の真摯な報道こそが何よりの購読者への説明である事に自信を持って欲しい。

怯むな!朝日新聞。 



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