裁判で使われる『不知』という用語について

老人は今、税金で賄われる選挙ポスターの費用が詐取されていると、茨城県に対して異議申立てをしている。 先日、県側から最初の答弁書が来て、その中に『不知』という言葉が何回か使われていた。

ネットで調べると、相手方の主張していることについて、認めないし知らない本当かウソかも とにかく相手(この場合老人)が言っているだけだ, 関知しない、ということらしい。

1.「不知」というのは,訴訟の相手方が主張している事実関係についてその存在が分からないということですが,認めないということと同じ効果があります。
2.その場合,当該事実を主張した側が立証しなければなりません。


ということらしい(岡村茂樹弁護士の解説による。)

老人は茨城県の、例えば茨城町や、利根町などの町議会議員選挙に際して設置されるポスター掲示場の数が茨城町なら○○個所、利根町は××個所だから、その選挙で当選を目指す候補者は、ポスターを作成するとき、少なくともその掲示場数の○○枚、××枚は作り、少し多めの枚数も作るだろうとして訴状に書き、論を進めた。

そうしたら県側は答弁書で、その○○町の掲示場数が○○個所であったり、△△村の掲示場が××個所であるかは『不知』であると言ってきたのである。

県や市の、また町村の選挙管理委員会は、同じ法律や条例に則って事務を遂行するのだから選挙に際して設置が義務付けられている公設掲示場の数を知らない、又はその設置基準が分からないなどということはないと思うのだが『不知』なんだそうだ。

選挙についての細々した決まりは、人口や面積によって選挙ごとに異なり、選挙区の号区合区や変更や分割によったり、議員数削減などで変わったりするから、なるほどある時の選挙で掲示場が105か所の時、次の選挙で106か所になったりするだろうし、何しろリコールがあったりして年中選挙があるから、俺は(県は)そんなことは知らねーよ!というのもありだと思う。


もっと法曹関係者が好きな言い方をすれば、選挙ポスターを何枚作るかは、設置掲示場に関係なく立候補する選良たちの自由だし、作ったポスターを掲示場に貼るかどうかだって勝手で、作ったけど 貼らないことさえもあり だ。 だからある町のある時の選挙の掲示場が××か所かも知らないし、候補者が100枚作ったか、220枚作ったかも『知らねーよ』という法律裁判用語の登場となる訳だ。
  

だが、そのポスター代が自己負担ではなく公費負担であるなら事情は少し違って来る。

なにしろ条例でそうなっている、から・・・・→と、いうその条例の成立根拠は昭和25年(今から65年も前の1950年当時)の印刷技術、流通事情、物資困窮、資源不足、I・T未成熟など、当時の事情によるものだ。

今回の異議申立の一つの論点は、掲示場数の2倍の枚数まで認容するという県条例の当否は如何ということでもある。県側は条例で認められているのだから500か所の公設掲示場に対し、1000枚作るのは何ら問題ないという。  しかし、選挙ポスターは公設掲示場以外に貼ることはできないことになっている。自分の選挙事務所の外壁に貼ることや選挙運動用自動車に貼ることさえもできないことになっているのだから、県議選の9日間に全ての掲示場のポスターを貼り替えるために作るのでない限り、作られた大半のポスターは無駄に廃棄されることになる。貴重な税金で作ったのに数日後には未使用のまま廃棄するのは、経済的に全く無駄であるし、環境的にもエコに反するし、どぶに捨てるために税金でポスター代の面倒を見るなど到底納得できるものではない。

県に44の市町村があってそのうちポスター代などの公費負担条例の備わっている市が30ある。 選挙は順当なら4年に1回位だから、首長選と市議選で30市×2=60.  12年なら×3で180回、町村と県会、おまけに衆参国会議員選挙もあるが、その30市が条例で認めているポスター枚数は掲示場数か、その一割増し、1、1倍までである。 その認容枚数でこれまで数百回の、どの選挙も何の支障もなく実施されているし、候補者や職員や市民から何ら不満も怨嗟の声も起こっていない。 2倍まで認めるという県の基準が如何に偏頗しているか、県選管は現実を見ようとしない裸の王様である。


裁判でこういう 不知 などという用語を使って相手方に負荷をかけることが弁護士の力量を示すということなのか、正否或いは利害を争うのだから当然の駆け引きなのか知らないが、普通の住民、市民にはとても無駄で不経済なことのように思える。


ある町のポスター掲示場数が110か所である時に、105か所と主張したり、115か所であると嘘の記述をしたりすることに何の利益もないことを考えれば、『不知』などと、殊更に難しい用語を使って、当該事実(その町の公設掲示場数が何か所であったか)を主張した側に立証を求めることなど児戯に等しいと思う。 しかし岡村弁護士の前記ご教示に従えば、これを言い出した側である老人が立証しなければ、認められないと言うのだから仕方がない。


『不知』という用語を何回も繰り返して使う、県側の『不恥』について、馬鹿々々しいが次回までに、反論を書かなければならない。

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